History of Education Thought Society  教育思想史学会





『近代教育フォーラム』目次


創刊号-第3号 第4号-第6号 第7号-第9号 第10号-第12号

第13号-第15号


第16号


* * * * * * * * * * * * *

第16号(2007)
  第17号(2008)  第18号(2009)

 

『近代教育フォーラム』第16号(2007) 


〈巻頭言〉
藤川信夫:


〈会長就任論文〉
矢野智司: 死者への負い目と贈与としての教育
  -教育の起源論からみた戦後教育学の課題と限界点-


〈フォーラム1:
  近代教育学の脱構築に向けて-エピソード「かさこじぞうのテキスト空間」の射程-〉

西岡けいこ: 報告論文:近代教育学の脱構築はいかに
       -エピソード「かさこじぞうのテキスト空間」の射程-

田中毎実:
司会論文:臨床的教育理論と近代教育批判の射程
高橋勝:
コメント論文:現象学的授業論が拓く地平 -「教室の生成」をめぐって-
米村まろか:
コメント論文:肉の隠喩と教育


〈フォーラム2:大人の教育としての哲学 -デューイからカベルへ-〉

齋藤直子:
報告論文:大人の教育としての哲学 -デューイからカベルへ-
丸山恭司:
司会論文:齋藤、デューイ、カベル、ウィトゲンシュタイン
      -道徳的完成主義から治療的展望へ-

田中智志:
コメント論文:完全性への敢然性 -何が人を闘争へと向かわせるのか?-
生澤繁樹:

コメント論文:ジョン・デューイの教育思想に対する反 -反基礎づけ主義の再解釈?


〈フォーラム3:子どもの本とモラル・リフォーム
             
-ジョン・ロック教育思想の受容と転用の一側面-〉

岩下誠:
報告論文:18世紀末のイングランドにおけるモラル・リフォームと教育 -サラ・トリマーを事例として-
森田伸子: 司会論文:〈子どもの本〉と〈教育的なるもの〉をめぐって -過渡期としての18世紀-
坂倉裕治:
コメント論文:テクストとコンテクスト -思想史研究のあらたな可能性-
岡部美香: コメント論文:教育思想史研究における文化史の可能性


〈コロキアム〉
柴山英樹:
渡辺哲男:
杉本卓:

1 文字の〈拡張〉-文字と教育の思想史pt.2-

弘田陽介:
石田泰史:
池田文一:

2  型・生活・文化 -身体のモノローグ/ダイアローグ-


今井重孝:
西平直:
衛藤吉則:
矢野智司:

3  シュタイナー教育思想の現代的意義を問う




〈書評〉
野平慎二: 宮寺晃夫著『教育の分配論-公正な能力開発とは何か』を読む
 -得体の知れない「能力」をめぐるウロボロス的格闘、あるいは教育に対する社会哲学の限界-
山﨑洋子: 「生活改革/新教育運動」の教訓と歴史家の使命
 -山名淳著『夢幻のドイツ田園都市-教育共同体ヘレラウの挑戦』を読む-
米 典子: ピーター・カンニガム著/山﨑洋子・木村裕三監訳 『イギリスの初等学校カリキュラム改革 1945年以降の進歩主義的理想の普及』
高谷亜由子: 鈴木晶子著『イマヌエル・カントの葬列-教育的眼差しの彼方へ』
ポール・
スタンディッシュ
書評:Naoko Saito, The Gleam of Light : Moral Perfectionism and Education in Dewey and Emerson


〈図書紹介〉
新井保幸: 新井保幸・高橋勝編『教育哲学の再構築』
相馬伸一: J.A. コメニウス著 藤田輝夫訳 相馬伸一監修 『地上の迷宮と心の楽園』


〈アゴラ〉
宮寺晃夫: 政治学と教育学は出会えるか
 ―アーレントの「統合教育」批判を読む―


〈寄贈文献〉


〈会則・編集規定・投稿要領〉






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『近代教育フォーラム』第17号(2008) 


〈巻頭言〉
山名淳: 

〈フォーラム1:
  情念と教育―ルターとその周辺〉

菱刈晃夫:  報告論文:情念と教育―ルターとその周辺
井ノ口淳三: 
司会論文:理性による情念の制御は、どこまで可能か
      ―デカルトとコメニウスの場合
山内清郎: 
コメント論文:ルターは笑ったか
米典子: 
コメント論文:「はじめにからだありき(In principio erat corpus)」


〈フォーラム2:
  フロイトからフロイト主義へ/病因論から教育言説へ
   ―精神分析の心理学化と因果論の変容


下司晶: 
報告論文:フロイトからフロイト主義へ/病因論から教育言説へ
      ―H・ハルトマンによる精神分析の心理学化と科学性の変容

西平直: 
司会論文:「精神分析の影響」というトリック
      ―教育との接続という問いの立て方をめぐって―
鬢櫛久美子: 
コメント論文:精神分析の思想史と教育に関する「臨床の知」の間
渋谷 亮: 
コメント論文:フロイトの科学と終わりなき回帰


〈フォーラム3:「贈与と交換の教育人間学」という問題圏〉

矢野智司: 
報告論文:「贈与と交換の教育人間学」という問題圏
高橋勝:  司会論文:「教育的-教育学的マトリクス」を超えるもの
        ―〈越境する教育思考〉に向けて―
今井康雄: 
コメント論文:「純粋贈与者」はどこまで純粋か
          
―教育の起源をめぐる不純な考察
相馬伸一:  コメント論文:「限界への教育学」へのひとつの応答
          ―コメニウス研究の視点から



〈コロキアム〉
弘田陽介: 
戸村拓男: 

1 身体の成長―秘めたるものと伝わるものをめぐるモノローグ/ダイアローグ

江口 潔: 
綾井桜子: 
藤井佳世: 
上地完治: 

2 近代教育学批判について考える批判の形式を中心として―


井谷信彦: 
宮崎康子: 
石崎達也: 
高柳充利: 
辻 敦子: 


3 プレゼントが開く未知なる教育―児童文学や絵本を事例とし



岡部美香: 
森岡次郎: 
谷村千絵: 
久保田健一郎: 

4 何が教育を可能にしてきたか


〈投稿論文〉
川津貴司:  日本青年教師団と海後勝雄
  -戦時下の教員運動におけるナショナリズムと主体性-
青柳宏幸: 

マルクスにおける労働と教育の結合の構想
  -国際労働者協会ジュネーブ大会における教育論争を手がかりとして-

〈書評〉
木内陽一: 

弘田陽介著『近代の擬態/擬態の近代―カントというテクスト・身体・人間』

古屋恵太: 

下司晶著『〈精神分析的子ども〉の誕生―フロイト主義と教育言説』を読む

ハンス=リュディガー・ミュラー: 

Yasuo Imai/Christoph Wulf (Eds.): Concepts of Aesthetic Education. Japanese and European Perspectives. Münster, New York: Waxmann 2007

丸山恭司: 

吉田敦彦著『ブーバー対話論とホリスティック教育-他者・呼びかけ・応答』を読む
 
―ブーバーを超えて

高松みどり:  高橋勝著『経験のメタモルフォーゼ-〈自己変成〉の教育人間学』を読む
 ―読書経験による自己変容―

藤井佳世: 

野平慎二著『ハーバーマスと教育』

越智康詞: 

尾﨑公子著『公教育制度における教員管理規範の創出―「品行」規範に着目して』
 ―教職に関わるアポリアをどう考えるのか?―



〈リプライ〉
西岡けいこ: 

教育に必要なオプティミスム―現前の時間から湧出する時間へ―

相馬伸一:  J.A. コメニウス著 藤田輝夫訳 相馬伸一監修 『地上の迷宮と心の楽園』


〈アゴラ〉
 國崎大恩: 

教育思想史研究の可能性に関する一つの試論
   ―「かのように」の教育を超えて―



〈寄贈文献〉


〈会則・編集規定・投稿要領〉







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『近代教育フォーラム』第18号(2009) 


〈巻頭言〉
松下良平: 

〈フォーラム1:近代日本における倫理的主体の形成と身体観の変容〉
鈴木康史:  報告論文:明治期日本における「主体」の変容と「身体」のゆくえ
樋口聡: 
司会論文:主体と身体
        ―何が変容、脱落、透明化したのか―
鈴木晶子: 
コメント論:思想史研究の位相
         ―思想史を読むことと書くことのあわい―
田村謙典: 
コメント論文:近代・身体・主体性
          ―神経生理学の水脈を参照し教育思想史を論ずることの意義―


〈フォーラム2:障害者解放理論から「他者の欲望」へ

森岡次郎: 
報告論文:障害者解放理論から「他者の欲望」へ
野平慎二: 
司会論文:「障害」と「他者の欲望」
        ―「教育」の立場からの構築主義の徹底に向けて―

根本直美: 
コメント論文:社会構築主義のアポリアはいかにして乗り越えられるのか
高橋洋一: 
コメント論文:健常/障害を問う視座
          ―医療コミュニケーションにおける「客観性」の再考に向けて―


〈シンポジウム:検証 : 思想運動としての教育思想史学会
              ―私たちには何ができたのか/できなかったのか〉

原聡介: 
報告論文:教育思想史の課題は何か
        ―再び振り返りながら―
今井康雄:  報告論文:私にとっての教育思想史(学会)
広田照幸:  報告論文:社会変動と思想運動
        ―教育思想史学会の歩みを傍観して―
山内紀幸:  報告論文:生まれたときからポストモダン
        ―第3世代にとっての教育思想史(学会)
松浦良充:  司会論文:「運動」の終焉と再始動
        ―教育思想史の固有性への内向か、越境に向けての拡張か―
矢野智司:  コメント論文:教育思想史研究と教育思想研究と教育現実
西村拓生:  コメント論文:思想史研究と教育の<現実>
川瀬邦臣:  コメント論文:教育の思想研究と歴史研究の結合
上原秀一: 
コメント論文:教育的思惟の歴史的構造の解明について
藤井佳世:  コメント論文:批判的研究としての教育思想史研究


〈コロキアム〉
今井康雄: 
田中智志: 
田村謙典: 
北原崇志: 
広田照幸: 

1 教育における「力」の概念


松浦良充: 
北詰裕子: 
山梨あや: 
中村夕衣: 
翟高燕: 



2 歴史のなかの「読むこと」
    ―ラーニングの比較思想=社会史の観点から―


吉田敦彦: 
井藤元: 
水田真由: 
河野桃子: 
纐纈好子: 

3 シュタイナー教育を思想史的に研究するということ 




下司晶: 
中橋和昭: 
渡辺正一: 
力間博隆: 
天野幸輔: 
古屋恵太: 

4 教育実践に思想は不要か?
     ―有用性/必要性/可能性



〈投稿論文〉
渡邊福太郎:  ウィトゲンシュタインにおける自我の確実性に関する考察
   ―自我を基点とした教育における関係性の分析―


〈書評〉
金森修:

藤川信夫著『教育学における優生思想の展開―歴史と展望』
        ―優生思想の<批判>とは、何を意味するのか―

森田伸子:

矢野智司著『贈与と交換の教育学―漱石、賢治と純粋贈与のレッスン』

奥野佐矢子:

ネル・ノディングス著/山崎洋子・菱刈晃夫監訳『幸せのための教育』

川津貴司:

浅井幸子著『教師の語りと新教育―「児童の村」の1920年代』



〈図書紹介〉
藤川信夫:

クリストフ・ブルフ編/藤川信夫監訳『歴史的人間学事典 1・3』



〈研究動向紹介〉
 伊藤敏子:

新教育運動とナチズムの関係をめぐる研究の展開
 ―ドイツにおけるペーターゼンとイエナプランへのまなざし―



〈寄贈文献〉


〈会則・編集規定・投稿要領〉







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