History of Education Thought Society 教育思想史学会 |
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■『近代教育フォーラム』第16号(2007) |
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〈巻頭言〉 |
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藤川信夫: |
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〈会長就任論文〉 |
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矢野智司: | 死者への負い目と贈与としての教育 -教育の起源論からみた戦後教育学の課題と限界点- |
〈フォーラム1: 近代教育学の脱構築に向けて-エピソード「かさこじぞうのテキスト空間」の射程-〉 |
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西岡けいこ: | 報告論文:近代教育学の脱構築はいかに -エピソード「かさこじぞうのテキスト空間」の射程- |
田中毎実: |
司会論文:臨床的教育理論と近代教育批判の射程 |
高橋勝: |
コメント論文:現象学的授業論が拓く地平 -「教室の生成」をめぐって- |
米村まろか: |
コメント論文:肉の隠喩と教育 |
〈フォーラム2:大人の教育としての哲学 -デューイからカベルへ-〉 |
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齋藤直子: |
報告論文:大人の教育としての哲学 -デューイからカベルへ- |
丸山恭司: |
司会論文:齋藤、デューイ、カベル、ウィトゲンシュタイン -道徳的完成主義から治療的展望へ- |
田中智志: |
コメント論文:完全性への敢然性 -何が人を闘争へと向かわせるのか?- |
生澤繁樹: |
コメント論文:ジョン・デューイの教育思想に対する反 -反基礎づけ主義の再解釈? |
〈フォーラム3:子どもの本とモラル・リフォーム -ジョン・ロック教育思想の受容と転用の一側面-〉 |
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岩下誠: |
報告論文:18世紀末のイングランドにおけるモラル・リフォームと教育 -サラ・トリマーを事例として- |
森田伸子: | 司会論文:〈子どもの本〉と〈教育的なるもの〉をめぐって -過渡期としての18世紀- |
坂倉裕治: |
コメント論文:テクストとコンテクスト -思想史研究のあらたな可能性- |
岡部美香: | コメント論文:教育思想史研究における文化史の可能性 |
〈コロキアム〉 |
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柴山英樹: 渡辺哲男: 杉本卓: |
1 文字の〈拡張〉-文字と教育の思想史pt.2- |
弘田陽介: 石田泰史: 池田文一: |
2 型・生活・文化 -身体のモノローグ/ダイアローグ- |
今井重孝: 西平直: 衛藤吉則: 矢野智司: |
3 シュタイナー教育思想の現代的意義を問う |
〈書評〉 |
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野平慎二: | 宮寺晃夫著『教育の分配論-公正な能力開発とは何か』を読む -得体の知れない「能力」をめぐるウロボロス的格闘、あるいは教育に対する社会哲学の限界- |
山﨑洋子: | 「生活改革/新教育運動」の教訓と歴史家の使命 -山名淳著『夢幻のドイツ田園都市-教育共同体ヘレラウの挑戦』を読む- |
米 典子: | ピーター・カンニガム著/山﨑洋子・木村裕三監訳 『イギリスの初等学校カリキュラム改革 1945年以降の進歩主義的理想の普及』 |
高谷亜由子: | 鈴木晶子著『イマヌエル・カントの葬列-教育的眼差しの彼方へ』 |
ポール・ スタンディッシュ: |
書評:Naoko Saito, The Gleam of Light : Moral Perfectionism and Education
in Dewey and Emerson |
〈図書紹介〉 |
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新井保幸: | 新井保幸・高橋勝編『教育哲学の再構築』 |
相馬伸一: | J.A. コメニウス著 藤田輝夫訳 相馬伸一監修 『地上の迷宮と心の楽園』 |
〈アゴラ〉 |
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宮寺晃夫: | 政治学と教育学は出会えるか ―アーレントの「統合教育」批判を読む― |
〈寄贈文献〉 |
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〈会則・編集規定・投稿要領〉 |
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■『近代教育フォーラム』第17号(2008) |
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〈巻頭言〉 |
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山名淳: |
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〈フォーラム1: 情念と教育―ルターとその周辺〉 |
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菱刈晃夫: | 報告論文:情念と教育―ルターとその周辺 |
井ノ口淳三: |
司会論文:理性による情念の制御は、どこまで可能か ―デカルトとコメニウスの場合 |
山内清郎: |
コメント論文:ルターは笑ったか |
米典子: |
コメント論文:「はじめにからだありき(In principio erat corpus)」 |
〈フォーラム2: フロイトからフロイト主義へ/病因論から教育言説へ ―精神分析の心理学化と因果論の変容〉 |
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下司晶: |
報告論文:フロイトからフロイト主義へ/病因論から教育言説へ ―H・ハルトマンによる精神分析の心理学化と科学性の変容 |
西平直: |
司会論文:「精神分析の影響」というトリック ―教育との接続という問いの立て方をめぐって― |
鬢櫛久美子: |
コメント論文:精神分析の思想史と教育に関する「臨床の知」の間 |
渋谷 亮: |
コメント論文:フロイトの科学と終わりなき回帰 |
〈フォーラム3:「贈与と交換の教育人間学」という問題圏〉 |
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矢野智司: |
報告論文:「贈与と交換の教育人間学」という問題圏 |
高橋勝: | 司会論文:「教育的-教育学的マトリクス」を超えるもの ―〈越境する教育思考〉に向けて― |
今井康雄: |
コメント論文:「純粋贈与者」はどこまで純粋か ―教育の起源をめぐる不純な考察 |
相馬伸一: | コメント論文:「限界への教育学」へのひとつの応答 ―コメニウス研究の視点から |
〈コロキアム〉 |
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弘田陽介: 戸村拓男: |
1 身体の成長―秘めたるものと伝わるものをめぐるモノローグ/ダイアローグ |
江口 潔: 綾井桜子: 藤井佳世: 上地完治: |
2 近代教育学批判について考える批判の形式を中心として― |
井谷信彦: 宮崎康子: 石崎達也: 高柳充利: 辻 敦子: |
3 プレゼントが開く未知なる教育―児童文学や絵本を事例とし |
岡部美香: 森岡次郎: 谷村千絵: 久保田健一郎: |
4 何が教育を可能にしてきたか |
〈投稿論文〉 |
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川津貴司: | 日本青年教師団と海後勝雄 -戦時下の教員運動におけるナショナリズムと主体性- |
青柳宏幸: |
マルクスにおける労働と教育の結合の構想 |
〈書評〉 | |
木内陽一: |
弘田陽介著『近代の擬態/擬態の近代―カントというテクスト・身体・人間』 |
古屋恵太: |
下司晶著『〈精神分析的子ども〉の誕生―フロイト主義と教育言説』を読む |
ハンス=リュディガー・ミュラー: |
Yasuo Imai/Christoph Wulf (Eds.): Concepts of Aesthetic Education. Japanese
and European Perspectives. Münster, New York: Waxmann 2007 |
丸山恭司: |
吉田敦彦著『ブーバー対話論とホリスティック教育-他者・呼びかけ・応答』を読む |
高松みどり: | 高橋勝著『経験のメタモルフォーゼ-〈自己変成〉の教育人間学』を読む ―読書経験による自己変容― |
藤井佳世: |
野平慎二著『ハーバーマスと教育』 |
越智康詞: |
尾﨑公子著『公教育制度における教員管理規範の創出―「品行」規範に着目して』 |
〈リプライ〉 |
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西岡けいこ: |
教育に必要なオプティミスム―現前の時間から湧出する時間へ― |
相馬伸一: | J.A. コメニウス著 藤田輝夫訳 相馬伸一監修 『地上の迷宮と心の楽園』 |
〈アゴラ〉 |
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國崎大恩: |
教育思想史研究の可能性に関する一つの試論 |
〈寄贈文献〉 |
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〈会則・編集規定・投稿要領〉 |
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■『近代教育フォーラム』第18号(2009) |
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〈巻頭言〉 |
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松下良平: |
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〈フォーラム1:近代日本における倫理的主体の形成と身体観の変容〉 |
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鈴木康史: | 報告論文:明治期日本における「主体」の変容と「身体」のゆくえ |
樋口聡: |
司会論文:主体と身体 ―何が変容、脱落、透明化したのか― |
鈴木晶子: |
コメント論:思想史研究の位相 ―思想史を読むことと書くことのあわい― |
田村謙典: |
コメント論文:近代・身体・主体性 ―神経生理学の水脈を参照し教育思想史を論ずることの意義― |
〈フォーラム2:障害者解放理論から「他者の欲望」へ〉 |
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森岡次郎: |
報告論文:障害者解放理論から「他者の欲望」へ |
野平慎二: |
司会論文:「障害」と「他者の欲望」 ―「教育」の立場からの構築主義の徹底に向けて― |
根本直美: |
コメント論文:社会構築主義のアポリアはいかにして乗り越えられるのか |
高橋洋一: |
コメント論文:健常/障害を問う視座 ―医療コミュニケーションにおける「客観性」の再考に向けて― |
〈シンポジウム:検証 : 思想運動としての教育思想史学会 ―私たちには何ができたのか/できなかったのか〉 |
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原聡介: |
報告論文:教育思想史の課題は何か ―再び振り返りながら― |
今井康雄: | 報告論文:私にとっての教育思想史(学会) |
広田照幸: | 報告論文:社会変動と思想運動 ―教育思想史学会の歩みを傍観して― |
山内紀幸: | 報告論文:生まれたときからポストモダン ―第3世代にとっての教育思想史(学会) |
松浦良充: | 司会論文:「運動」の終焉と再始動 ―教育思想史の固有性への内向か、越境に向けての拡張か― |
矢野智司: | コメント論文:教育思想史研究と教育思想研究と教育現実 |
西村拓生: | コメント論文:思想史研究と教育の<現実> |
川瀬邦臣: | コメント論文:教育の思想研究と歴史研究の結合 |
上原秀一: |
コメント論文:教育的思惟の歴史的構造の解明について |
藤井佳世: | コメント論文:批判的研究としての教育思想史研究 |
〈コロキアム〉 |
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今井康雄: 田中智志: 田村謙典: 北原崇志: 広田照幸: |
1 教育における「力」の概念 |
松浦良充: 北詰裕子: 山梨あや: 中村夕衣: 翟高燕: |
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吉田敦彦: 井藤元: 水田真由: 河野桃子: 纐纈好子: |
3 シュタイナー教育を思想史的に研究するということ |
下司晶: 中橋和昭: 渡辺正一: 力間博隆: 天野幸輔: 古屋恵太: |
4 教育実践に思想は不要か? ―有用性/必要性/可能性 |
〈投稿論文〉 |
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渡邊福太郎: | ウィトゲンシュタインにおける自我の確実性に関する考察 ―自我を基点とした教育における関係性の分析― |
〈書評〉 |
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金森修: |
藤川信夫著『教育学における優生思想の展開―歴史と展望』 |
森田伸子: |
矢野智司著『贈与と交換の教育学―漱石、賢治と純粋贈与のレッスン』 |
奥野佐矢子: |
ネル・ノディングス著/山崎洋子・菱刈晃夫監訳『幸せのための教育』 |
川津貴司: |
浅井幸子著『教師の語りと新教育―「児童の村」の1920年代』 |
〈図書紹介〉 |
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藤川信夫: |
クリストフ・ブルフ編/藤川信夫監訳『歴史的人間学事典 1・3』 |
〈研究動向紹介〉 |
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伊藤敏子: |
新教育運動とナチズムの関係をめぐる研究の展開 |
〈寄贈文献〉 |
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〈会則・編集規定・投稿要領〉 |
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